後援会の事務局に嬉しいメールが届きました。それは山下大輔が東日本大震災のボランティアとしてお手伝いをさせて頂いた被災者の方からのものです。 思いがけない被災地からのお便り。心温まるものでしたので、ここにご紹介させていただきます。
~ 嬉しいお便り ~
気仙沼・小野寺さんからのメール
> 日時: 2011年9月1日21:03:04 JST
> 宛先: info@y-daisuke.com
> 件名: ありがとう
> 突然のメールをお許し下さい。わたしは気仙沼市に住んでいる小野寺と申します。そう、山下さんのブログに載っている、泥出しをしていただいた、津波の被災者です。
当日は山下さんをはじめ10名の方々にボランティアで泥だし、片付け作業をして頂きました。お陰様で予定より早く終了したので、来ていただいた皆さんとお話をする機会がありました。聞くと兵庫、和歌山、名古屋、横須賀、横浜、東京、仙台などみなさん遠くから来ていただき、いわゆる3K(臭い、キツい、汚い)状態を黙々と時には和気あいあいと作業していただきました。
その中での山下さんの印象といえば、とにかく力持ち。家具、大型冷蔵庫、大型ブラウン管テレビなどひたいに汗をかきながら率先して運び出していました。県会議員なんて一言も申さず、19才のリーダーを引き立て、1日限りでしたがチームワークさえ感じました。
その後3ヵ月が過ぎ、残念ながら自宅は壊すことにし、現在は基礎部分しか残っていません。今、家族は8キロ離れた、民間借り上げ住宅に元気に住んでいます。山下さんのブログを知ったのは、一緒に泥出しをした名古屋の方が先日また気仙沼を訪れ、我が家に一泊した時に教えていただきました。
今後も山下さんのご活躍を気仙沼から応援しています。お身体に気を付けて。
> ありがとうございました。
今回の東日本大震災では、多くの尊い人命が奪われ、巨大地震発生から3カ月を過ぎた現状においても仮設住宅への入居もままならず、多くの人が避難所生活を続ける状況にあります。私自身もボランティアとして被災地に入り、被害を受けた皆さんに寄り添う中で、今回の震災がどれほど悲惨なものかを改めて認識しました。
心からのお悔やみと、お見舞いを申し上げます。
今回の大地震と大津波で、多くの人の未来を一瞬にして奪い去ったその悲劇を直視して、しかしそれは、決して他人事でなく、和歌山も、いつ巨大地震に襲われるかもしれない。この教訓を私たちの和歌山でも、しっかりと生かしていく為に、私自身も「口先で無く、まずは行動」ということで、ボランティアとして実際に現場に立ち、現地の人たちと一緒に汗を流す中で、多くの事を学ばせてもらって参りました。
私が東北の被災地に入ったのは、ボランティアが足りなくなると心配されていた、今年のゴールデンウィーク明けの5月9日から12日までの間です。
震災後作業が遅れ、なかなか復旧しなかったJR大船渡線・ドラゴンレールが何とか気仙沼まで開通したタイミングで、宮城県一ノ関までは新幹線を使い、一ノ関からローカル線に乗り換え、気仙沼の現地へ向かいました。

気仙沼に向かう途中では、多くのボランティアの若者に出会いました。グループもあれば、一人単身で被災地に入る若者もたくさんいて、中でも、一人で行動している若い女性が多いのに驚きました。必要とし、必要とされる。今、被災地は、お節介になることを気にする事なく、思い切り他人の為に行動できる場所。「必要とされる」確かな手応えを得れる場所であり、多くの心優しい若者が被災地を目指しています。これも日本社会の一面だと、感じました。
さて、被災地での活動は、気仙沼からでしたが、まず現地に入って最初に感じた事は、悲しいことに、大きなダメージを受けたまちは音が無くなります。気仙沼に入ったのは昼過ぎで、その日は、夕方、日の暮れる時間まで、救援物資を運ぶお手伝いをして被災地を回っていたのですが、そこでは以前、阪神・淡路大震災の時に被災地を回った情景を彷彿とさせるもので、同じ感覚を味わいました。尋常ではない大きな被害を受けたまちは、現在の私たちが生活する日常、喧騒に包まれる社会からは隔絶された、荒涼とした荒野に立つような独特の情景があって、本当に心痛むものです。

翌日10日は、朝からボランティアセンターへむかいました。気仙沼市では、東新城という市街地から少し離れたところにある「すこやか市民健康センター」という施設内にボランティアセンターが設置されていました。


気仙沼VCボランティアセンター。初めての人にもわかりやすい案内がたくさんありました。
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朝早くから多くのボランティアが全国から集まり、その日は、400名を超える人が参加され、中には、日本人だけでなく、カナダ、アメリカ、フランスなどの日本在住の外国人の方も応援にかけつけてくれていました。
ボランティア活動への参加の流れとしては、まず最初に、受付テントで、ボランティア保険への加入など必要な書類にサインして登録を済ませます。受付が終わると、テント横のスペースに集合し、班分けが行われます。本部スタッフが作業内容を読み上げて、志願者を募ります。主な作業は、がれきの撤去、泥出し、家財道具の運び出し、などで、それぞれボランティアで集まった人たちが自分にあった作業を見つけて自主的に手を上げていきます。作業ごとに人数を割り振り、10人ぐらいづつの班を編成し、作業内容にあわせた道具もその場で支給され、各自、スコップや一輪車、泥出し用の布袋などを確保して、出発の準備を整えます。
準備が整ったグループから、それぞれバスに乗り込み、市内各所に派遣されていきます。


写真左はボランティアのグループ分けの様子。写真右は、グループ分けをされた後、必要な道具を準備。
私が派遣されたのは、沿岸部から5kぐらい入った住宅地で、そこでは約半数の家屋は全壊状況で、流出した家屋も多く、元あった場所もわからない家も数多くあるといった地域でした。私たちが担当したお家は、気仙沼で魚の仲買業を営む小野寺さんという方のお宅で、2階建ての1階部分は天井まで津波が押し寄せ、泥に埋まり、庭などもめちゃめちゃに破壊されている状況でした。
泥出しと一言でいっても、本当に大変な作業で、そもそも町中が洗濯機でかきまわされたような状態で、泥にまみれて、魚や、動物、ペットの死骸などが散乱し、悪臭も想像を絶するものでした。男手で、10人掛かり、途中、昼食時には、各自持参した、おにぎりをほお張り、そのほか脱水症にならないように水分補給をするための休憩を取りつつ、みっちりと午前9時から、午後3時まで作業を続け、それで何とか一軒の家が片付く、といった状況でした。こういった作業を被害地域全体で行う事を考えると、本当に大変な労力が必要とされ、相当なマンパワーが必要だと改めて認識させられました。


写真左は小野寺さんのお宅。写真右は、作業終了後に全員で。写真の最前列左は旦那さん、真ん中は奥様。大変よろこんでくれていました。
午後3時に作業が終了し、順次迎えの車を持って、ボランティアセンターに戻ります。センターに戻った後は、持って行った道具を次の日の作業に使えるように各自きれいに水洗いして返却、最後に報告書を提出して、一連の活動は終了となります。
気仙沼では、受付から、チーム分け、作業内容の説明から、現場への送り迎えまで本当に組織化され、全ての作業がスムーズに行われていました。これは和歌山でもお手本とすべきものと思います。いざという時のために、貴重な経験の場となりますので、是非和歌山からも、県、市町村の職員の皆さんにも、でるだけ多くの方に実際に体験しておいて頂きたいと思います。
翌11日は、手配していたレンタカーに乗り込み、早朝から気仙沼を離れ、陸路、陸前高田市へ向かいました。
気仙沼から陸前高田市までは、車の専用道路があり、所々で海まで見渡せる休憩場所があるのですが、そこから眺める風景は、例外なく全てが悲惨な状況でした。気仙沼、陸前高田などマスコミが取り上げられるまちは、テレビなどを通じて多くの人に知られていますが、それ以外も、海に面した入江という入江の全ての集落が壊滅しています。まさに呆然とするほかない状況であり、改めてその被害の大きさに驚き、鳥肌が立ちました。
陸前高田の市街地に入ってからは、皆さんもテレビで何度も見られていると思いますが、やはり大変な状況です。陸前高田市は、まちとしての規模は気仙沼より小さいながら、被害規模は気仙沼と同等、もしくはそれ以上の状況で、自治体としての中枢機能へのダメージも甚大で、それはボランティアセンターの運営にも表れていました。

陸前高田は、気仙沼のVCボランティアセンターとくらべると、駐車スペースも少なく、規模も5分の1ぐらい
陸前高田市災害ボランティアセンターは、陸前高田市横田町という、かなり内陸に入った場所に仮設事務所が設置されていました。陸前高田の社会福祉協議会は、大津波で事務所を失い、職員のうち数名が死亡・行方不明となっているということで、残された職員の皆さんは、必死で、社協自体の再建を進めつつ、災害ボランティアセンターの運営もこなしている、という状況でした。


陸前高田市のVCボランティアセンター
5月11日。陸前高田市で、私が参加した日に集まっていたボランティアは、約40人。気仙沼の10分の1という状況でした。これも後ほど提言させて頂きますが、それぞれの被災地では、「ボランティアの争奪戦」があります。情報をしっかりと発信できないところでは、ボランティアを集められない状況となっています。陸前高田市などは、被害が大きすぎて行政組織も機能低下しており、本来は、大きな被害を受けているからこそ、たくさんのボランティアが必要なところを、しかし逆に悪循環に陥っていて、被害が大きすぎた為に、情報を発信する力も弱く、結果的にボランティアを集められず、復興も遅れる、という状況にあります。
陸前高田でのボランティアは、仕組みとしては、気仙沼とおおよそ同じなのですが、とにかく40人しか集まらない状況ですので、人手が足りない。ボランティアの派遣要請は山のようにきていても、残念ながら十分に対応できる状況にはありませんでした。
当日、ボランティア登録をすませると、早速、名前を呼ばれ、派遣先の概要が書かれた紙と、地図を渡されて、何と「一人」で行って欲しいという事でした。手渡された資料を見てみると、家屋内の泥出しと家財道具の運び出しで、希望人数として、5名~10名のボランティアを派遣してほしいと書かれていました。気仙沼での経験からしても、とても一人で手伝いに行っても間に合わないと不安に思い、担当の方に伝えると、申し訳ないが、被災者の方はボランティアの派遣を待っていて、とにかく行って欲しい。ということでした。私自身、陸前高田は初めてで、当然地の利も無い中で、しかし、手配したレンタカーに、カーナビはついていましたので、それを頼りに、とにかく出発しました。
派遣された先は、83歳の金野さんというおじいさんのお宅で、陸前高田市の北部の沿岸地域で、あたり一帯、ほとんどの家が流出してしまっている状況の中で、少し高台のところにあった金野さんほか数軒が何とか残っているという状況でした。

陸前高田市でボランティアをさせていただいた金野さん宅。海までは2Kぐらいのところで、金野さん宅他はほとんどが流出してしまっている。
到着後、挨拶をして、すぐに使えなくなった家財道具の搬出など作業に取り掛かりましたが、いかんせん一人で運べるものは限られていて、なかなか作業もはかどらず、申し訳ないとおもっていたところに、2人のボランティアが応援に駆け付けてくれて、3人で作業を進め、何とか、その日に予定していた作業を終わらせる事ができました。
同じ、ボランティアでお手伝いさせていただくにも、それぞれの地域で、大きな差がある事を実感しました。


運んでも運んでもなかなか片付きません(写真左)。家主の金野さんと(写真右)。
今回、被災地に入って、本当に多くの事を学ばせて頂きました。東日本大震災の復興は、日本の挑戦だと思います。私たちの和歌山では、震災から時間が経過して、ややもすると、もう過去の出来事のように感じられている人も多いように思いますが、しかし、被災地では今も多くの人が戦っています。これから息の長い持久戦となります。今後、和歌山県として、どういった貢献ができるのか、しっかりと腰を据えて考えて行く必要があります。

東日本大震災の発生直後から、選挙期間を通じて、義援金カンパを集めさせていただきました。御協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。和歌山県を通じて被災地への支援に役立てて頂きます。
また、今回の震災で、現地に入って実際に活動してみて、明日は我が身、というのが現実だと改めて実感しました。東日本大震災を、しっかりと我がものとして、検証を行い、それを和歌山の防災にどうつなげていくか。真剣な議論が必要です。英知を集めて、和歌山の未来に備える! 山下大輔、今回の経験をもとに、「和歌山を守る!」精一杯の取り組みを進めて参ります。









